「道徳」を巡る近年の知見の一端を紹介しておく。
比較発達心理学の研究を続けて来た米国デューク大学教授で
マックス・プランク進化人類学研究所名誉所長のマイケル・トマセロ氏
の著書から。「ヒトが利己的関心から行動できる能力を備えており、
しばしばそうしているのは目に見えて明らかである。
しかし、幼い子どもでさえ、多くのケースで戦略的計算なしに
心から相手の幸福を配慮することがある…。子どもは相手の目標達成を手助けし、公平に資源を共有し、
共同コミットメント(計画や目的に自分達を縛り付けるある種の
約束のようなもの―引用者)を形成してその破棄にあたっては
相手の許可を得て、『わたしたち』もしくは集団の関心に向かって行動し、
おそらくは集団指向的動機から第三者に対して社会的規範を強制し、
利己的関心による計算とは無関係の
(共感から憤慨、忠誠、罪悪感に至るまでの)
真なる道徳的情動を備えている。こうした経験的証拠、そして他の分野における多くの研究者…が示唆するのは、
ヒトが他人に価値を見いだし、その幸福に投資するための生物学的適応を
進化させてきたということである。この事実を説明するには、ヒトが他人との相互依存を認識し、
それが他人の社会的意思決定に影響をもたらしている点を見ればよい」
(『道徳の自然誌』令和2年、原書は2016年刊)同書を翻訳された南山大学准教授で自然哲学・人間進化学が
専門の中尾央氏の要約的な紹介からも。
「初期ヒトが生まれた頃(40万年前頃、ホモ・ハイデルベルゲンシスの頃―引用者)、
生態環境が大きく変化し、初期ヒトは協同的な狩猟採集を余儀なくされた。
お互いに相互依存しながら協同で狩猟採集を行わなければ、
ヒトは餓死するしかなかったのである。こうして、(血縁個体や友達以外の)協同相手に同情的配慮を感じる
進化的理由が生まれた。
…協同活動の参加者は『わたしたち』という超個人的実体に一体化し、
『わたしたち』が各自を自制し始める。
…こうして、相応(ふさわ)しい相手に敬意を持って接すべきという、
公平という道徳性が、協同相手との間で誕生したのである」
(同「訳者解説」)―人間の「相互依存」性に力点を置いたトマセロ氏の仮説だ。
今後、どのように評価されるだろうか。
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